ヨーガスートラ 1章44節~1章51節 リタンバラー






एतयैव सविचारा निर्विचारा च सूक्ष्मविषय व्याख्याता 44
エタイェーヴァ サヴィチャーラー ニルヴィチャーラー チャ
スークシュマヴィシャヤ ヴィャーキャータ

एतयैव エタイェーヴァएतया エタヤー + एव エヴァ)  
これに準じて(前節の有尋定と無尋定に準じて)

सूक्ष्म विषया  スークシュマ ヴィシャヤー 
微細な対象に関する

सविचारा  サヴィチャーラ 
有伺定と

निर्विचारा  ニルヴィチャーラ 
無伺定

 チャ
~も

व्याख्याता ヴィャーキャータ
解説される。

微細な対象領域において集中する時、その名前や形、知識について分析している状態は有伺定といい、次にそれらの分析が消え、ただ対象物のみにより集中が深まった状態を無伺定とよびます。





सूक्ष्मविष्यत्वं चालिङ्ग पर्यवसानम् 45
スークシュマ ヴィシャヤトヴァン チャーリンガ
パルヤーヴァサーナン

 チャ
また

सूक्ष्मविष्यत्वं スークシュマ ヴィシャヤトヴァン
(有伺定、無伺定という三昧の領域について)
微細な対象というのは


अलिङ्ग アリンガ 
万物の根源である自性までをいう。


アリンガとは、根本原質であるプラクリティのことをいいます。
森羅万象の大元の原始エネルギーの核。
真我(プルシャ)以外のものはすべてアリンガです。
(同義語 कारण प्रकृति カーラナ プラクリティ)

インドの二元論哲学は、この世にはプルシャ(真我)とプラクリティ(根本原質)の2つがあると考えます。プルシャはプラクリティの中には存在せず両者は全く異なるものですが、時にプラクリティによってできたものを本当の自分の姿や魂だと錯覚したり、プラクリティによって作られた事象に永遠を求めます。

プラクリティの役割は、プルシャに修行をさせ、真実のものと捨離するものとを識別させていき、様々な形へと複雑に転変し広がりすぎていったプラクリティを逆転変させていきます。蜘蛛が口から吐き出して張った巣を再び引き寄せてしまい込むイメージが逆転変です。

真我は自分の姿を直視することはできませんが、最終的に澄みきった水晶のような心に真我が映し出されるように溶け込んだところで、プルシャとプラクリティが極限まで近づきます。しかし、やはり1つにはならず、プルシャはプルシャ、プラクリティはプラクリティという二元論に基づきます。


●微細な領域のひとつ、五唯と感覚器官についての整理

तन्मात्रा  タンマートラー(五唯)

五唯とは五大元素(空、風、火、水、土)のうち、微細な元素についていい、サンスクリット語でタンマートラーといいます。このタンマートラーが「ジュニャーナ・インドリヤ」とよばれる5つの感覚器官(鼻、舌、耳、眼、身体)を通して作用します。

(1)पृथ्वी  プリトゥヴィー 
土の元素。

गंधतन्मात्रा  ガンダ タンマートラー (गंध ガンダは香)
土元素の五唯。土元素の微細になった領域。鼻を通して臭覚として働く。

(2)जल  ジャラ 
水元素。

रसतन्मात्रा ラサ タンマートラー (रस ラサは味)
水元素の五唯。水元素の微細になった領域。舌を通して味覚として働く。

(3)तेज़ テージャ 
火元素。

रूपतन्मात्रा ルーパ タンマートラー (रूप ルーパは形)
火の元素の五唯。火元素の微細になった領域。目を通して視覚として働く。

(4)वायु  ワーユ 
風元素。

स्पर्शतन्मात्रा スパルシャ タンマートラー (स्पर्श スパルシャは触)
風元素の五唯。風元素の微細になった領域。身体全体を通して触覚として働く。

(5)आकाश アーカーシャ 
空元素。

शब्दतन्मात्रा シャブダ タンマートラーशब्द シャブダは言葉、名前をあらわす)
空元素の五唯。空元素の微細になった領域。耳を通して聴覚として働く。

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インドの二元論哲学のもうひとつの呼び方は、“サーンキャ哲学ともいわれます。“サーンキャ”とは数や要素という意味があり、宇宙は25の要素でできていると説かれます。

まずひとつが、プルシャ、その次に根本原質であるプラクリティ。そしてプラクリティから転変する過程の中で微細な順に、ブッディと呼ばれる「」があります。これはマハッタットヴァमहत्तत्त्व मह+त्++त्+त्+)という呼び方もあります。 

そのブッディが3つのグナのバランスによって転変し「アハンカーラ」とよばれる「私・エゴ」という意識が生まれます。「あの人は自己中心的だ」というように使われるエゴではなく、もっと深層の部分で自分と他者を分別する根本的な私という意識です。

その次にマナスと呼ばれる「マインド・意」ができました。

そして、ジュニャーナ・インドリヤとよばれる5つの感覚器官(鼻、舌、眼、耳、身体)。

そのあと、上記に述べたタンマートラとよばれる微細な領域の五大元素。次にカルマインドリヤとよばれる5つの行為の器官(手、足、発声、生殖器、排泄)。
最後に全ての物質を形成する「パンチャ・マハーブータ」とよばれる五大元素(土、水、火、風、空) からなります。

これらプルシャという精神原理と、ほかプラクリティをはじめ24からなる物質原理をあわせて、25の要素からなる世界がサーンキャ哲学の宇宙観です。
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 ता एव सबीज:समाधि: 46
ターエヴァ サビージャハ サマーディヒ

ता एव ター エヴァ
以上これらが

 सबीज समाधि サビージャ サマーディ 
有種子三昧である。

無尋定と無伺定に至ってもなお、無種子三昧ではなく、“アリンガ”とよばれるプラクリティまでが対象の三昧であり、高度な三昧に達してもなお、プラクリティの転変のきっかけが残っている有種子三昧の領域に留まります。




निर्विचारवैशारद्येऽध्यात्मप्रसादः  47
ニルヴィチャーラヴァエシャーラッデャ アデャートマプラサーダハ

निर्विचार ニルヴィチャーラ
無伺定(の瞑想が)

वैशारद्य ヴァェシャーラッデャ 
極めて曇りなき状態に達した時。無垢清浄になった時。

अध्यात्म प्रसाद アデャートマ プラサーダ 
内面的静寂が生ずる。

ऋतंभरा तत्र प्रज्ञा 48
リタンバラー タットラ プラジュニャー

तत्र タットラ
その時

प्रज्ञा  プラジュニャー
智慧(は)

ऋतम्भरा リタンバラー 
真理に満たされた直感智を得る。


リタンバラーという智慧は、考えたり選択して導き出した答えではなく、一目でモノの本質を見抜く智慧です。その智慧には、集中してみているものに対して、疑いや迷いがありません。


श्रुतानुमानप्रज्ञाअभ्यामन्यविषया विशेषार्थत्वात्  49
シュルターヌマーナ プラジュニャーアビャーマンヤヴィシャヤー
ヴィシェーシャールタトワート
 
श्रुतानुमान (シュルタश्रुत + アヌマーナअनुमान ) シュルターヌマーナ 
伝承で聞いたことや推理から得た知恵

प्रज्ञाअभ्यामन्यविषया プラジュニャーアビャーマンヤヴィシャヤー
これと比して、(このリタンバラーという)智慧の次元は全く異なるものである。

विशेषार्थ (विशेष +अर्थ ) ヴィシェーシャールタ 
言葉としての意味で表されたもの。特徴付け、意味付けされたもの。

विशेषार्थत्वात् ヴィシェーシャールタトワート
なぜなら、これら(伝承や推理から得られる知恵)は言葉によって限定された知識であるから。

(解説)
私たちは偉人の書物を読んだり、スピーチを聞いて、何かインスピレーションを受けるかもしれませんが、言葉というツールによって知りうることができるのみで、近似値まで行くことは容易くありません。なぜなら、伝承や推理によって得られた知識は限定された知識であり、リタンバラーの智慧とは比較にならないからです。リタンバラーは言葉や推理、検証によって得る知識よりもはるかに高い知識で直観的であるから。リタンバラーは言葉も入れない、直接体験しないと得られない悟りの段階です。



同義語と関連用語】 

पूर्ण ज्ञान  プールナ ジュニャーナ 
完全な知識

परा ज्ञान  パラー ジュニャーナ  
最高の知識

अपरा ज्ञान アパラージュニャーナ ジュニャーナ 
最高位でない知識 

साधारण ज्ञान  サーダーラナ ジュニャーナ 
世間の一般知識

श्रुत बुद्धि  シュルタブッディ 
伝承的知識、見聞きした知識、知恵

अनुमान बुद्धि アヌマーナ ブッディ 
推理による知識、知恵




तज्ज: संस्कारोऽन्यसंस्कार प्रतिबन्धी  50
タッジャハ サンスカーロー アンヤサンスカーラ プラティバンディ

तज्ज:  タッジャハ
(リタンバラーの智慧を得たあとの)ここから生じる

संस्कार サンスカーラ 
サンスカーラは

अन्यसंस्कार  アンヤサンスカーラ 
他のサンスカーラ

प्रतिबन्धी プラティバンディ 
(他のサンスカーラの発現を)妨げる性質がある。



他のサンスカーラの発現を押さえるほどの、真理に満たされたリタンバラーという直感智は強烈な光そのものに例えることができます。過去のいろんなサンスカーラが本当は消えずに残っているのに、それが眩しい光で見えなくなります。

サンスカーラというのは、アーカーシック・レコード(空中に刻まれた体験のレコード)とも言われ、一度できたサンスカーラは消えることはありません。それが、リタンバラーという智慧の強烈な光によって見えなくなります。
よく、高い次元の智慧のことを「光」として表現されます。

光が発するのと同時に、プラクリティの本質を知るので最も高位のヴァエラーギャ(離欲)が生じます。その高位のヴァエラーギャによってできた新たな強烈なサンスカーラによって、今まで蓄積してきたすべての愛着、嫌悪のサンスカーラが消滅します。


関連用語

カルマーシャヤについての補足

カルマーシャヤという言葉はカルマアーシャヤという言葉からなっています。(कर्माशय=कर्मआशय カルマ+アーシャヤ) (2-12も参照)
使用テキスト1-50の解説ではカルマーシャヤのことを以下のように述べています。

「人が何かに対して感情がわいたり、行為を行なうと、そのサンスカーラが全て心の内奥に集積してたまっている。これをヨーガではカルマーシャヤと名付けている。(2-12参照)これこそが、人がサンスカーラによって起こる輪廻の中で困惑させる主因である。(2-13参照)」

日本語では「業遺存」と訳されていることが多いようです。心の活動の中で執着や自分意識が混じっていると、いずれ将来清算、克服しなければいけない業遺存として蓄積し、将来繰り返すことになるエネルギーをもった有種子三昧の範囲を往来することになります。

サンスカーラと部分的に混同してしまいそうなので整理しておきます。現代ヒンディ語でもサンスカーラの言葉の定義が沢山あります。「修養、教養、品性」「通過儀礼、宗教儀礼」「浄法」という意味がありますが、私たちがヨガを学ぶ時に押さえておくべき最も重要な意味は「過去生もふくめた行為の影響」という意味です。煩悩、非煩悩のどちらかに限定せず、今まで行ったカルマの輪廻・因果法則をひっくるめた、今後のカルマも 決定していくダイナミックなカルマの影響や流れをあらわした言葉を表しています。(煩悩、非煩悩については1章5節~参照)

そして、カルマーシャヤはサンスカーラのひとつですが、無明から起こる煩悩性が根本にあります。

 アーシャヤ(आशय)は現在のインドの言語でも生きている言葉で、「目的」の意味でよく使われていますが、サンスクリット語ーヒンディ語辞典で確認すると「場所」や「蔵」など様々な使い方があります。一緒に押さえておくと概要をイメージしやすいので、お役立てください。カタカナの読みはヒンディ語で示します。

(1)शयनकक्ष シャヤンカクシャ 寝室 
(2)निवास स्थान ニワース スターン 住所 
(3)पात्र パートラ 器、鉢 
(4)पेट ペート お腹、胃 
(5)अर्थ アルタ 目的、意図 
(6)भावनाओं का स्थान  バーヴナーオーン カー スターン
心の働きがあるとされるところ
(7)संपन्नता  サンパンナター 裕福さ
(8)कोठार  コータール 食料貯蔵庫、倉庫、蔵
(9)मन マン 思考や精神作用の行われるところ 
(10)इच्छा  イッチャー 願い、欲
(11)भाग्य  バーギャ 運、運勢



तस्यापि निरोधे सर्वनिरोधान्निर्बीजः समाधिः 51
タスヤーピ ニローデー サルヴァニローダーンニルビージャハ 
サマーディヒ


तस्यापि निरोधे タスヤーピ ニローデー
(他の過去のサンスカーラを退けるサンスカーラ)これさえも止めてしまった時
सर्व निरोधात् サルヴァ ニローダート 
全ての心の作用も止滅することによって

निर्बीज समाधि ニルビージャサマーディ 
無種子三昧が出現する。


◆関連語
कैवल्य अवस्था (3-50参照) カェヴァルヤ アヴァスター
 独存位

◆無種子三昧のポイント
プラクリティが今までプルシャ(真我)に対して見せてきた転変という現象世界の中に、プルシャは存在しないことを悟り、プラクリティは自性に没入したままとなります。プラクリティは(その人にとっては)転変する必要がなくなり、任務から永遠に解放されます。